旅もいよいよ終盤です。
(途中、別の美術館を巡った日が数日ありますが、諸々の事情で割愛しております(^-^;))
フジタを追いかけて巡る旅最終地はランスです。
ランスはパリ北東部のシャンパーニュ地方の中心地です。
お酒お好きな方はご存知でしょう、シャンパンセラーが点在し、気軽に見学も出来ます(下戸の私には無縁ですが・・・)
このランスには、ゴシック様式の壮大なノートルダム大聖堂( Cathédrale Notre-Dame de Reims )があります。
ランスの街は、ローマ建国の伝説があるロムルスとレムスの兄弟のうち、レムスの兵士たちによって基礎を置かれたと伝えられているそうです。
フランク王クローヴィスが、496年ランスの司教だった聖レミギウス(レミ)により洗礼を授けられキリスト教徒となります。
その後816年、ルイ一世がランス大聖堂で戴冠式を行って以降、フランス国王の戴冠式の場となったそうです。
フジタ夫妻が洗礼を受けた場所でもあります。
そして少し離れた場所に、フジタの手がけた小さな教会( La Chapelle Foujita )があります。
今回はぐるりまわったランスをご紹介します。
この日は朝から移動でした。
パリから北東に移動なので、今迄使っていた北駅ではなく東駅からの出発です。
TGVに乗って1時間弱で到着します。
先ず最初はランス美術館です。
ここでチケットを買いますと、写真真ん中の様にランスの美術館等のチケットがついてました。てっきりその都度買わなければいけないと思っていましたが、一カ所で買えるシステムの様です。別の美術館に行ったらその場でチケットを切って渡す様です(^^)便利!
ランス美術館は、先日のフジタのアトリエで一緒だった方から『フジタの絵もあそこにあるよ』と伺っていたので、かなり期待していました。
あるといっても2〜3点かな?と思っていましたが、なんと1階に5点、2階に6点もありました。
中でも聖母子の絵と、裸婦の絵が素晴らしく、ここでも随分長い時間絵の前で過ごしました。
少し驚いたのは、福岡で見たフジタの絵がかかっていた事です。
1992年のパリ郊外の倉庫で発見された巨大な絵画4点。
これはフジタが1928年に制作した「幻の作品」です。
存在は知られていたものの、所在は不明とされていた作品を修復した後、2009年に日本で初めて一堂に揃ったかたちで公開されました。
私はその巡回展を福岡で見ていたんですが、このランス美術館で再び出逢えるとは思っていませんでした。(図録にエソンヌ県議会蔵とあったので別の場所と思っていました・・・)
争闘と、馬とライオン。
空間も壁の色も違うので、日本で見た時とは違った雰囲気がしました。
同じ絵画を、あと何回見られるでしょう。
思わぬ所で、思わぬ絵と再会出来、感動でした。
ランス大聖堂、その高さなんと38m!!驚きの高さです。
入り口から見ますと、彫刻郡に圧倒されます。
そして美術系の人なら描いた方も多いでしょう、おなじみの微笑みの天使像とセントジョセフ像があります。思う様に描けずに悔し涙を流した高校時代の思い出がよぎり一人、苦笑い・・・(笑)
そしてタンパン(※タンパンとは扉口上部にある半円又は尖頭アーチで囲まれた部分の事です。扉の装飾で中心となるテーマがおかれます)は普通浮き彫りの彫像で飾られますが、ランスの大聖堂はステンドグラスが嵌め込まれており、反対側から見るととても美しいです(写真5枚目)。
そしてご存知の方も多いでしょう、シャガールのステンドグラスもここです。
他のステンドグラスも見事でした。
少し進むと、フジタと奥さんが洗礼を受けた際の記事がまだかかっていました。この時から彼は『レオナール・フジタ』となったのですね。
ぐるりと大聖堂を周り、次へ移動です。
次に向かったのはサン=レミ聖堂 (Basilique Saint-Remi)です。
ここはフジタが感銘を受けたという教会で、中心地から少し離れていましたが訪れました。
この教会の名は、クロヴィスの洗礼を行った聖レミに由来し、その聖遺物が安置されているそうです。
この教会は1049年にローマ教皇レオ9世によって聖レミに捧げられました。
サン=レミ聖堂に隣接するサン=レミ博物館も行きました。こちらは元は18世紀にベネディクト会の修道院として用いられていたもので、サン=レミ聖堂とともに世界遺産に登録されています。
ここには聖人レミの障害に関するタペストリーがあります。
そしていよいよChapelle Foujita(Notre-Dame-de-la-Paix)です。
シャンパンメーカーMumm社のお隣にフジタの礼拝堂があります。
当時の社長ルネ・ラルーとともに、1960年聖母マリアに捧げる礼拝堂をつくることを決意します。
(因みにルネ・ラルーが洗礼親となりレオナール・フジタ( Leonard Foujita )と名を受けたそうです。)
1965年礼拝堂の設計が始まり、礼拝堂の設計・礼拝堂内のステンドグラス・金属装飾・彫刻はフジタが手がけました。
建築家モーリス・クロージエにより工事が着工し、ステンドグラスはシャルル・マルク、金属装飾と彫刻はマクシム・シケとアンドレ兄弟によって制作されます。
1966年6月から8月にかけて礼拝堂の内部をフレスコ画で描き上げます。
そして同年10月奉献、ランス市に寄贈されました。
フジタが亡くなったのはこの2年後の1968年。
81歳でスイスの病院で死去。
アトリエ近くに葬られましたが、
「この礼拝堂で眠るつもりだ」と生前書いた日記を君代夫人が見つけてランス市に許可を求めて2003年フジタ礼拝堂に改葬されました。
そして君代夫人は2009年4月に逝去され、夫が眠る礼拝堂右側、≪最後の晩餐≫の絵の下に葬られました。
物凄いスピードと根気で礼拝堂内部のフレスコ画を描き終えたフジタ・・・。
戦争画を多く描いた過去もあり、どれ程平和に対する思い・願いがあったでしょうか。。
写真が撮れないので残念でしたが、じっくり見てきました。
フジタを追いかけて各地を巡りましたが、最後にこの教会に来れて良かったです。
ここは夏期しか開いていませんが、機会があれば是非ご覧頂きたい場所です。
大きな公園を抜け、駅に戻ります。
7時過ぎなんですけど、かなり明るいです(笑)
素晴らしい一日を終え、大満足でパリに戻りました。
ランス、また行きたいです。
長くかかってしまった旅日記、2012年はこれで最後のブログです。
お付き合い頂きまして有難うございました。
皆様良いお年をお迎え下さい。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
コメントをお書きください
ひろぬま (火曜日, 01 1月 2013 14:37)
新年は無事に迎えることができました。
旅日記もいよいよ最後なんですね。
ランスの大聖堂は、やはり迫力がありますね。ただ、迫力だけでなく、ゴシックなのに、少し優雅な感じもうけます。タンパンのステンドグラスのせいもあるのでしょうか。
シャガールは、向こうの世界の光を絵画の中に、取り込んだ感じがしますが、ステンドグラスで、まさに、それをやったんですね。
旅の最後がフジタの礼拝堂だったんですね。彼は、ここで最後の大きな仕事をして、いろいろあった人生を終えて、向こうの世界へ行ったわけですよね。
ランスの街が、彼を大切に思っている感じが伝わってきて、嬉しくなりました。
nanaさんにとっても素晴らしい一日で、大満足とのこと、とてもとても何よりでした。
長い間、旅日記ありがとうございました。写真も豊富で、とても楽しめました。
旅そのものの中でも、いろいろ苦労があったようですし、来年の個展の準備をしながら、旅日記を造りそれをUPするという、相当大変ことをされてたのではないですか。とても感謝です。有難うございました。
個展たのしみです。
nanamonda (木曜日, 03 1月 2013 20:33)
ひろぬま様
お返事遅くなりまして失礼致しました。
昨年から随分更新の遅いブログでしたが、長くお付き合い下さいまして有難うございました。
毎回コメントを頂き、色々お話を伺うことが出来て私自身とても勉強になり感謝の気持ちでいっぱいです。
ランスはとても良い街で、出来ればもう一度訪れたい場所です(どこもそうなのですが・・・特に 笑)
フジタを追いかける旅、最後がここで本当に良かったと思います。
そしてまた今年もひろぬま様と色々と美術の事等お話出来るのを楽しみにしております(^^)
本年も何卒宜しくお願い致しますm(_ _)m
ナビン (水曜日, 09 1月 2013 07:45)
ランス!
大聖堂がある位しか知りませんでした。
改めて、
旅行する前の下調べ次第で、充実度が違うことを確認できました!
何でも段取りが大切なんですネ!
僕は鎌倉連休最終日。。
夜からはまた、雪山古塔の灯台⁉ へと戻ります~~!
nanamonda (水曜日, 09 1月 2013 15:51)
☆ナビンさん
大聖堂が一番有名ですものね(^^)
でもそれ以外にも結構見所がありますので、もしフランスにも行く機会がありましたらオススメ致しますよ☆
下調べは結構したつもりですが、実際行ってみるともっと知りたい気持ちが増しますね。そして前回の日記の様に、調べてもなかなか思い通りに行かない事もありますしね(^-^;)それも思い出ですがw
また雪深い町へ戻られるのですね〜。道中お気をつけて。そしてそれまで存分に鎌倉を楽しんで下さいね(^^)